尊敬する飛行船の遠野物語をさんさビートでカバーしました!

今年は残念ながら、8月の盛岡さんさ踊りは中止のようです。じゃいごたれ楽団としましては、今年の活動の予定としてさんさ太鼓との共演を予定しておりました。早くとも秋口になるのかもしれませんが、なんとか仕切り直してさんさ太鼓とコロナ明けを祝いたいと思っております。

遠野物語~白い日記をボストンバックにつめてきたところや、好きだと口づけたすすきの野辺のあたりで、あの時代の青春が蘇ります!また駅までの道を青いリンゴかじったところで、本当に酸っぱくて唾液がでてきます!令和の今の若い人にはわからない情景とは思いますが、流れるようなメロディーにのせて、いい気持にさせてくれる名曲です!

ああ今の時代!のびのびとリンゴかじりながら駅まで歩きたいな!

ワールドミュージックとしてのニューサイケデリックピンクをカバーしました!

小学生の時初めて聴いたNSPデビューシングル「さようなら」は青春の憬れと暗さが、生々しく迫ってきて刺激が強すぎました。中学生の頃はIBCトップ40で「線香花火」「赤い糸の伝説」などいつも1位で聴いていました。いわゆる叙情的でフォーク的で、文化祭で歌ってそのままプロになったような身近さを感じていました。ただ今思うと、初期ピンクフロイドなどの暗さとも通ずるし、曲そのものがまるで催眠術のような妙なパワーがあり、単に素朴な青春ソングではない感じがします。 

NSPは、まさにワン&オンリーの、岩手一関高専ワールドミュージックです。ですからカバーもワールドをすっかりカバーするか、全く別なワールドで歌うかになってしまい、こうなってしまいました!これこそ世界に響く岩手のワールドミュージックです!

世界が百万人の県だったら~岩手県人の歌を歌うしかない!

世界が100人の村だったらじゃないけど、最近はこのような考え方で音楽をしています。ネット社会ですから、発信は広くできますが、実際ライブ活動は地元限定になりますし、曲作りや演奏もより深く岩手らしさを意識して行きたいからです。千昌夫さんも新沼謙治さんも「田舎者」を売りにしてたのは、そのニーズが全国にあったからです。ですからそれを今、堂々と地元で歌い継いでいければと思います!

新沼謙治さんは、当時アイドルの登竜門と言われた「スター誕生」出身で、朴訥でほのぼのした田舎者のイケメンとして「嫁に来ないか」でデビューしました。同じ頃の求婚ソングとしてはよしだたくろうの「結婚しようよ」があり、これは当時の最先端の若者の風俗だったのに対し、「嫁に来ないか」は田舎の左官屋とか農家の倅の、ウブでほほえましい、ちょっと前時代的なラブソングという感じでした。今こそ、名曲としてみんなで歌い継ぐ歌と思います!

プロとして岩手を背負って何十年も歌っている新沼謙治さんは、岩手(世界)のビッグスターです!

北国の春!カバーしました!

コロナウィルスで日本中、世界中が大変になっていますが、盛岡もそろそろ春到来です!

去年の冬は1stCD「あ・こ・す・ち・く」を重ね録音しておりましたが今年は、せーの!のノリを出して、スタジオライブ風にに録音しています。4月頃にはカバーCDとオリジナルCDを出す予定です!

アマチュアバンド活動としては、好きなジャンルの音楽を出来るだけ上手に演奏して、皆に褒めてもらいたいところなのですが無理(笑)ですので、私としては別次元の、死にぞこないのアーティストとしての、自分に対する最後の「おとしまえ」みたいなもんです。

それはみんなが繋がる事、世界が繋がること、ジャンルを超えて自分の中の過去の全てが繋がることです。若い頃一瞬、ロックと愛と平和と自由とお祭りを信じた事を、別な次元で表現したいんです。

意味不明かとは思いますが、北国の春を私は、オーティス・レディングのつもりで歌っています!(「ソウルミュージック」や「カントリーロード」や「さんさ」と「北国の春」は私の中では繋がっているんです。(昔、清志郎が「R&Bだぜ」「オーティスだぜ」と言ってた時、ピンと来なかったけど今なら分かる)そして全ての音楽は、混じり合って出来て繋がって来たんだと思います。おこがましいですが、モーツァルトのトルコ行進曲(笑)。チャックベリーのジョニーBグッド然り。セルジオ・メンデスなんかも。

跨ぐ、繋がる、超える、新しい面白さ、新しいストーリーを、自分なりに演っていくしかないです。それが演奏ヘタウマが限界のミュージシャンの宿命であり限界です。今回は岩手にゆかりのある歌をカバーしました!

ぜーぜー節(添田唖蝉坊)演歌がメッセージフォークなんです!土取利行が演歌する!

文明開化で日本は西洋近代の音楽教育を取り入れましたが、ほとんどの人は、音楽といえば角つけや旅芸人の、三味線調の唄こそが音楽でした。

これを演奏して唄っている土取利行は、元々フリージャズ、フリーミュージックの人で、70年代の前衛ドラマーでした。そしてその伴侶、故・桃山晴衣(三味線弾きうたいすと)が添田知道(唖蝉坊の息子)から長期にわたって「演歌」を習っていたことから、その意志を受け継ぎ、「邦楽番外地」として、新たに録音したものです。すばらしいです!

戦争の世紀を乗り越え、大震災を乗り越えてきた、近代流行歌の祖が、添田唖蝉坊、知道です。反骨、風刺、諧謔にあふれた三味線調の唄、まさにメッセージフォークの元祖です!明治42年当時の唄です。温故知新とはこの事ですね!

これに比べて、「日本人の心」なんていう今現在の「いわゆる演歌のスタイル」というものは、せいぜいここ3~40年ぐらいの間に確立された、新しいものです。(少々どんづまりですが・・・)

ええじゃないか!レッツダンス!

江戸時代は、ポップカルチャーが生まれた時代でした。歌舞伎、浮世絵、落語、小唄、端唄、川柳、見世物、生活小物etc、衣食住含め、江戸や大坂の庶民文化の爛熟度は世界一だったようです。

そして幕末から明治というと、勤王の志士やら文明開化やらのイメージが強いですが、幕末の庶民を描いたこの映画は、激しく新鮮です!

小室等の本に「人生を肯定するもの、それが音楽」というのがありましたが、社会がどんどん変わって行く時でも、我々は生きてきた自分をそれなりに肯定して生きていく以外にないんです。今も昔も、社会の中で、命踊らせるしかないんです。生きていくために。

踊りたくない 踊れない だけどレッツダンス!

2020年の私の課題曲は南部木挽唄に決定いたしました!

昨年は南部牛追唄をよく練習して、大会に出たのですが、見事玉砕しました。リベンジで夢よもう一度という気持ちもあるのですが、どちらかといえば木挽唄のほうが、江差追分の流れを汲んでいて、好きなんです。(江差追分は日本の民謡の最高峰)ただ、木挽き唄のほうは牛追唄に比べて大会が小さいので、年に一度、仕事を休んでまでして出るモチベーションが、いまいちだったのです。今年は毎日、車の中で木挽き唄を歌います!

南部牛追唄は、昔からあったとは思いますが、いわゆる戦後の民謡ブームに乗って畠山孝一さんの業績によってポピュラーになった民謡です。南部木挽唄は、戦前の民謡ブーム、江差追分ムーブメントがありましたが、その流れを汲んだ曲だと思います。

ミュージシャンのはしくれとして、修行の身、極道の途中として、今年も曲を作りながらさらに魂を深化させるべく、昔からの唄を練習していきます!

達者でナ

ロックがかっこいいとは、ブルースを白人がやったから、そこから始まったんだと思います。またクラシックを取り入れるとか、フォーク(民謡)ルーツミュージックを取り入れるとか、エスニックなものを取り入れるとか、音楽的には、温故知新的な展開で、カッコいかったわけです。

沖縄の場合は民謡が純粋な形でずっと残っていました。だから世界のミュージシャンも注目したし、沖縄民謡のテイストが、ロック的でカッコよかった。

日本の場合は民謡は明治維新以降、古くさいモノとしてしてスミにおかれ、戦後は、お国自慢のふるさと芸能として、民衆の音楽とはちょっと別物として保存されていきました。(現在はマニア以外、気軽に日本の民謡を歌える人はほとんどいません)私のおやじ世代でしたら、お酒をのむと民謡を歌う人は、まだまだいましたけど・・・

私はアジアのロックの、ひとつのカッコいいスタイルとして、沖縄のバンドのようなスタイルを思います。プロミュージシャンは、東京に集中するのは仕方ないのですが、日本中各地にもっと土着的なミュージシャンがいて、地産地消しているシーンこそ、世界に通ずる道だと思います。

三橋美智也は正統派の民謡出身の、歌謡界のスターでした。

北海道から出てきた三助あがり、カントリーでブルースでソウルシンガーでした。

太陽にほえてきました!

故畠山孝一さんを偲んで今年は南部牛追唄全国大会に出場します!

思い起こせば小学校の高学年のころ、青山町のお祭のステージりで、畠山孝一さんの南部牛追唄を初めて聞いて、シビレタのを覚えています。私の父と同じぐらいの年だったんですが、目がぎょろっとして男前、子供ながら、よく伸びるパワフルな歌声に、かっこいいなと思ったのを覚えています。

青山三丁目の新興電気というレコードショップで南部牛追唄を買って、すぐに覚えて歌っていました。その頃は中学生の姉がビートルズやフォークなどを聞き始めたころで、私も歌謡曲や漫画の主題歌じゃない歌に興味を持ち始めた頃でした。

その後はずっと離れていましたが、フォークデュオを組んで活動しているうちに、ふっと思い出し、去年毎年岩泉で行われている南部牛追唄全国大会を見に行ったのです。

おお、これぞ歌い継がれるホントのフォークソングと思いました。そしてまだ何も知らなかった子供のころを思い出したのです。よし、来年出る!とそのとき決めてしまいました。

畠山孝一さんはインタビューでも言ってるように、昭和のスター村田英雄さんや三橋美智也さんと同い年なようで、歌はプロでイケメンでしたから、歌謡界に行って大スターになるかもしれない存在だったと思います。

そんな中で岩手に根を張り岩手の民謡を歌い続けた畠山孝一さんは岩手の民謡の大スターです。

晩年の映像を見ても、人間味がにじみ出る岩手そのものという感じで、素晴らしいの一言です。

遅ればせながら、一人のファンとして毎日練習して、歌い継いでいきたいと思っています。