盛岡町屋館浜藤ホール 盛岡弁塾で勉強して参りました!

2月2日(日)浜藤ホールで開催された盛岡弁塾に行ってきました。盛岡弁の川柳や小話、クイズなど盛りだくさんの内容で楽しませて貰いました。なかでも川柳は、なぜか盛岡弁だとほっこりと笑えるので、これはいいモノだと思いました。俳句などもイケルと思います。いろんなテーマをきめて、即効で詠む盛岡弁歌会などやれば盛り上がりそうです。

私の父はコテコテの盛岡弁でしたが、私は東京生活が長く(笑)細かい単語は随分忘れてしまっています。それでもあの、リズムやイントネーション、ノリは染みついてます。生粋の盛岡弁を喋れる人も高齢化してきていますので、これからどんどん使って、知らない盛岡弁も覚えて、残していきたいもんです。

最後は敬愛する田口友善さんのLIVEでしたが、さすがですね。南部藩とアメリカ南部を引っかけて、オースザンナから、コットンフィールド、プラウドメアリー、ホンキートンクウィメンなど、全部盛岡弁で歌っていました!脱帽!こういうのがまた田口さんらしいなと、楽しんで参りました。私も盛岡弁の歌を歌っていこうと思った次第です。

よしだかずをKAZUWOバンドは楽しませてくれました!

ちょっと過ぎましたが今年1月15日(水)新春頌春ショーに行って参りました。IBCの川島アナも加わって、演奏プラスαのトークや仕掛けありのLIVEでした。約2時間、全く飽きさせない構成力とパフォーマンスは、大したもんです!

よしだかずをのLIVEは本当に久しぶりだったのですが、彼の持ち味である憂歌団やサウス・トゥ・サウスの曲を盛り込みながら、いろんなオリジナルどの曲もソウルフルなかずをワールドでした!

そしてなによりもバンドメンバー個性派揃い凄腕ぞろいで、みんな楽しんで一体となったチームワークが、一人一人から伝わって来ました。地に足の着いた着実なバンド活動の鑑です。

デビッドヨハンセンのアニマルズメドレーが凄いです!

私のフェイバリットのデビッド・ヨハンセン、ニューヨークドールズのボーカルです。70年代のオリジナルパンクの一人です。それが解散後のソロで、なんとアニマルズメドレーをやっていたのは驚きました。パティ・スミスがヴァン・モリソンのグローリアをカバーしてたのに相まって、私の中ではフェイバリットのエリック・バードン、ヴァン・モリソンがパンクに直結してテンションが上がりました。(80年代、後追いでしたが)

いま改めて聴くと、ストレートにある意味バードンより上手いし、ミック・ジャガーの亜流のように見られてたけど、歌が完璧に上手い。つまりカッコイイ!

1989年、ストーンズを観にアメリカに行きました。 ジョニーサンダースの大ファンの友達と二人で、 ニューヨークの友達のアパートに世話になって。彼はデビッド・ヨハンセンをあまり好きじゃなかったようでしたが、ニューヨークのボトムラインでたまたま演っていたヨハンセンのライブを二人で観に行きました。バスター・ポインデクスターのころです。蝶ネクタイ姿で最高の笑顔で現れたヨハンセンは、私にウインクしてくれました!史上最高の夜でした!

のちに彼は、カントリーブルースのアルバムも出していますが、それもまた素晴らしいです!

I’ve been loving you too long (at地下鉄ホーム)が凄い!

私のフェイバリットであるオーティス・レディングを無性に聴きたくなって、you tubeを見てたら偶然見つけました。路上で歌う上手い人は、色々見たけど、オーティス・レディングを歌っているというのがびっくり!うれしかったです!かっこいいとはこの事か!やはりこういうバラードは、名も無い年配の方が歌うと心に染みます。

どんなプロの唄よりも

どんなスターの唄よりも

あなたの唄は、世界一!

ぜーぜー節(添田唖蝉坊)演歌がメッセージフォークなんです!土取利行が演歌する!

文明開化で日本は西洋近代の音楽教育を取り入れましたが、ほとんどの人は、音楽といえば角つけや旅芸人の、三味線調の唄こそが音楽でした。

これを演奏して唄っている土取利行は、元々フリージャズ、フリーミュージックの人で、70年代の前衛ドラマーでした。そしてその伴侶、故・桃山晴衣(三味線弾きうたいすと)が添田知道(唖蝉坊の息子)から長期にわたって「演歌」を習っていたことから、その意志を受け継ぎ、「邦楽番外地」として、新たに録音したものです。すばらしいです!

戦争の世紀を乗り越え、大震災を乗り越えてきた、近代流行歌の祖が、添田唖蝉坊、知道です。反骨、風刺、諧謔にあふれた三味線調の唄、まさにメッセージフォークの元祖です!明治42年当時の唄です。温故知新とはこの事ですね!

これに比べて、「日本人の心」なんていう今現在の「いわゆる演歌のスタイル」というものは、せいぜいここ3~40年ぐらいの間に確立された、新しいものです。(少々どんづまりですが・・・)

ええじゃないか!レッツダンス!

江戸時代は、ポップカルチャーが生まれた時代でした。歌舞伎、浮世絵、落語、小唄、端唄、川柳、見世物、生活小物etc、衣食住含め、江戸や大坂の庶民文化の爛熟度は世界一だったようです。

そして幕末から明治というと、勤王の志士やら文明開化やらのイメージが強いですが、幕末の庶民を描いたこの映画は、激しく新鮮です!

小室等の本に「人生を肯定するもの、それが音楽」というのがありましたが、社会がどんどん変わって行く時でも、我々は生きてきた自分をそれなりに肯定して生きていく以外にないんです。今も昔も、社会の中で、命踊らせるしかないんです。生きていくために。

踊りたくない 踊れない だけどレッツダンス!

2020年の私の課題曲は南部木挽唄に決定いたしました!

昨年は南部牛追唄をよく練習して、大会に出たのですが、見事玉砕しました。リベンジで夢よもう一度という気持ちもあるのですが、どちらかといえば木挽唄のほうが、江差追分の流れを汲んでいて、好きなんです。(江差追分は日本の民謡の最高峰)ただ、木挽き唄のほうは牛追唄に比べて大会が小さいので、年に一度、仕事を休んでまでして出るモチベーションが、いまいちだったのです。今年は毎日、車の中で木挽き唄を歌います!

南部牛追唄は、昔からあったとは思いますが、いわゆる戦後の民謡ブームに乗って畠山孝一さんの業績によってポピュラーになった民謡です。南部木挽唄は、戦前の民謡ブーム、江差追分ムーブメントがありましたが、その流れを汲んだ曲だと思います。

ミュージシャンのはしくれとして、修行の身、極道の途中として、今年も曲を作りながらさらに魂を深化させるべく、昔からの唄を練習していきます!

りらっくすしようよ

りらっくすしようよ あれもこれもしようとしないで

りらっくすしようよ 首が回らなくなるその前に

りらっくすしようよ 窮屈な事 気に病まないで

りらっくすしようよ 腰が立たなくなるその前に

今のこの時を 大切に 心と体が ひとつに 溶け合うのさ!

りらっくすしようよ なんぼ怒ってもしかたがない

りらっくすしようよ 取り憑かれた ストレス 鎮めよう

ここのこの場所を大切に 僕と君とが ひとつに 響きあうのさ!

Oh! Year! りらっくすしようよ!

りらっくすしようよ!

りらっくすしようよ!

じゃいごたれ楽団、新春駅前ロックンロール歌合戦に参戦して参りました!

主催者の千田正樹さんは、ピュアなロックスピリットを持ち続け、真摯に活動し続けている、ロックミュージシャンマスターです!彼と出会ったグローブでの、久々の共演は、私の音楽活動の、重要なマイルストーンとして刻まれました!

今の私はいわゆる”ロック”から離れてしまいましたが、一度でもロックに夢中になった者なら、彼のステージングと企画に、心熱くならずにはいられないはずです。今後私のロックのボスとして、君臨していく事でしょう!

1南部松茸音頭 2石川啄木を尊敬するブルース 3愛の賛歌 4ワレ スナワチ ナンブ ヒャクショウノ タマシイ 5あの山超えてどっこいしょ 6我が道行かば 7あけましておめでとう!