遂にと言いますか、ヤァ!ヤァ!ヤァ!と言いますか、いしがきに出演して参りました!天気も良く、こんな大舞台で演奏できて幸せでした!まぁこう言うスリルがバンド活動の醍醐味と言いますか、やめられない所なんですね!
ギターの健二くんが都合で出られなくなり、一瞬青ざめましたが心を一つにして乗り切ったことがまた、「バンド」を強くさせたと思います!
遂にと言いますか、ヤァ!ヤァ!ヤァ!と言いますか、いしがきに出演して参りました!天気も良く、こんな大舞台で演奏できて幸せでした!まぁこう言うスリルがバンド活動の醍醐味と言いますか、やめられない所なんですね!
ギターの健二くんが都合で出られなくなり、一瞬青ざめましたが心を一つにして乗り切ったことがまた、「バンド」を強くさせたと思います!
還暦!偉大なるライブ!
何も言う事が無いほど、最高なライブでした。私の人生最終章のファンファーレとも言うべき、怒涛のライブに酔いしれました!
思い起こせば昨年の今頃、またやろうと言う話があって、ちょっとずつ盛り上がって心が一つになっていくドキュメントを体験できました!
私個人的にはボーカルやパフォーマンスで反省はありますが、バンドとして、再結成として、とにかくメンバー!最高でした!
悔やんでばかりの人生だったけど、今初めて言う!!
我が青春に悔いなし!
来たる9月2日(土)盛岡菜園 BeOneBox
7時開演です。出番は2番目のようなので、7時半ぐらいになりそうです。
高校2年、松岡と清川はスピリッツというハードロックバンドをしておりました。松岡はウオヒロでベースをやっており、ロックジャムで入賞したり、学外でライブ活動しておりました。私としては憧れてみてました。
ある時松岡に、「ストーンズをバンドで歌ってみたいな」と言ったところ、「一高にキースがいるぞ、紹介するよ」と言われ、その照井には「盛商にミックがいるぞ、紹介するよ」と言ったらしく、ご対面する事に。見合い結婚です。
その後キーボードの前田に「市立(高校)にジェフズブギ、完コピの奴いるぞ」と紹介され、健二が入り、そこから私の怒涛のバンドライフが始まりました。
私のロックの原点であるし、プロを目指したきっかけになったバンドですので、ちょっと前までは再結成なんて荷が重すぎて、もしやるならよっぽど頑張らないと、恥ずかしいだけだと思っていました。
しかし照井が丁寧にリーダーとしてやってくれて、私としてはもう、そのままの今の自分でロックすればいいんだと思えるようになりました。様様です。
還暦とはひと回りして初めに戻ると言いますが、60過ぎて、高校時代の生まれて初めてのバンドメンバーが集まるなんて夢みたいです。世界でも珍しいと思います。
周りも世界も自分達も変わってしまったけど、「チンタオ」は生きている!
高校時代 我が青春ど真ん中バンド、青島(チンタオ)のメンバーが43年ぶりに集まって合わせることになりました!当時演奏していたストーンズを演るために、ホントに久々にゲットヤーヤを聞いたのですが、これまた最高!
ストーンズは、最高のアルバムはいくらでもありますが、今なら断言出来ます。ゲットヤーヤがベストです。アルバム通して全編、禁断のリズムは私の生命の生理に自然と一体化し、いい気持ちになるのです。無理してテンション上げたり下げたりじゃない、そのまんま私のリズム、人生のリズム、心臓のリズム、呼吸のリズムと重なり、落ち着きます笑。体に優しいロックです笑。 とにかく自然体、これがストーンズそのものです。
高校時代に一番多く聴いたアルバムでした。その後は山ほどあるストーンズの他のアルバムを聴くのに忙しく、ご無沙汰しておりました。
チンタオは、最初は普通のストーンズコピーバンドでしたが、その後の悪ノリによって岩手県初の、エンターテイメントパンク暴走族バンドになりました。
始まりはストーンズに夢中だった私に、ウオヒロのベースで活躍していた松岡君の計らいで、キースリチャード照井君を紹介された事です。私は盛商のミックとして紹介されました笑!
私にとって人生の転機になった重要なバンドです。若い頃の恥ずかしさもありますが、やっぱりやり出すと気持ちは昔に戻っているのがバンド(音楽)のすごい所です。気負わず楽しみながら、老人バンドとして地味に全開でロックンロールしたいと思います!
明けましておめでとうございます!(じゃいごねっとは旧暦)
世界は戦争コロナで先が見えませんが、旧暦元旦を機に歌道宣言します!
剣の道は剣道、柔の道は柔道、いわゆる武の道は武道。華の道は華道、お茶の道は茶道、極める道は極道と、道には色々あるけれど、遅ればせながら還暦を迎え人生の最終章を迎えた今、せいぜい好きな歌を毎日歌って生きて行こうと改めて思いました!
『歌道』馬鹿道とも言う(笑)
✨下手な歌でも弾き語りで歌い続ける(そこに道ができる)
✨つまらぬオリジナルでも作り続ける(そこに道ができる)
音として自分が気持ちよくなるまで歌い続ける(その道は果てしない)
方法論にはこだわらず、ただ道として細々と歌う 生きる
どんな時でも時代でも
歌う事が生きる事 一人の小さな人間として 残された
道
道
10月16日おでってホールでじぇんごたれ楽団3年半ぶりのライブは大盛況のうちにおわりました!
思い起こせば2020年の頭に、一気に製作したオリジナルCD「ふたりのり」カバーアルバム「尊敬カバーズ」引っ提げて、さあライブやるぞと思っていたところで、コロナとなりました。
まさに3年半ぶりのライブとなりました!出演バンドは約半分、入れ替わり時間は換気のため15分設けての開催で、不安なところもありましたが、以前よりお客さんは多く、熱気もありました!
演奏的には相変わらず間違ったりボケかまして、小野君に迷惑かけっぱなしでした!それでもなんとか行けたのは、どんな時でも彼が横でしっかりと、ドライブしてくれていたお陰でしょう。その辺のミュージシャンなら、ステージで不貞腐れていた事でしょう笑。
中津川べりフォークジャンボリーは3回目ですが、他のイベントにはない、温かみがあります。客層も幅広いし、真面目に聞いて楽しんでくれるし、自然で大らかな気持ち良さがあります。来年も出られるかはわかりませんが、このイベントを目標にまた頑張りたいです!
私が出られるイベントで、こんなにたくさんの人がまじめに観てくれるイベントって他にないです。
数ある音楽イベントで最も好きなのが、中津川べりフォークジャンボリー!
じゃいごたれ楽団は、コロナでしばらく音楽活動は休止しておりましたが、3年ぶりに中津川べりが開催されると聞きまして、思い切って申し込んでしまいました。出演が決まって嬉しいやら、緊張するやらです。いい演奏できるように、練習しなきゃです。
今の時代ですので、お客様と触れ合いたい私のポリシーは置いとかねばなりません。演奏そのもので勝負という、私個人としてはかなりきつい状況ですが、なんとか楽しく演ってみたいものです。
高校時代、初めてやったバンド「青島」のライブはストーンズのコピーでした。青山町の盛岡支所のホールで「休め」の姿勢でリズムも取らず、突っ立ってただ歌ってました。それでも最高の達成感で、しばらくは録音したテープを何度も何度も聴いて、毎日大興奮して天にも昇る勢いでした。青春の1ページとして誰にでも自慢できる、最高の思い出になると思いました。
その後、味をしめ、自分たち主催でコンサートをやろうと練習してた時、ギターのケンジ君がFMでエアチェックしたという、RCとアナーキーのテープを持ってきて聴かせてくれました。風変わりなコミックバンドのようなノリでウケて、簡単そうだし、「オモシェな!やるが!」てなノリでやったんだと思います。
その後すぐ、たまたま11PM でアナーキーの演奏を見てぶったまげました!ボーカルはリズムと関係なく飛び跳ねたり、変な踊りをして目をつぶって思いっきり歌ってました。びっくりしたけど凄く面白かった。その時、何かが、重苦しい青春の、本当に自分の殻が弾けました。中途半端な自分、人の目ばかり気にしていた自分、何も決めれず、ピエロになっていつも人の後を歩いていた自分が、「あ!こうやって出鱈目に踊って全開で歌えばいいんだ!」と一人革命。アドレナリンが溢れました。
そしてライブをやるたびに、全く自然に、出鱈目に踊りまくって歌ったらウケまくって、あっという間に暴走族の親衛隊が出来るほど盛り上がって。環境の変化について行けないくらいでした。若さゆえ、随分いい気になって。盛岡で天下を取ったつもりになって、プロになるなどとほざいておりました。
まあ、普通のミュージシャンには、アナーキーは馬鹿にされていましたから、高校卒業してからは、あまり話題にしませんでしたが、実は一番モロに影響を受けました。
昔の音源を聴くと、これが才能というものだ!バンドとしてとにかく最高!斬新!直球!そして半端モンにも夢だけは見れた、いい時代だったとつくづく思います。
今年は私も還暦と言う重要なマイルストーンを迎えます。こないだ五十になったと思っていたらあっという間でした。
若い頃プロを目指しましたが『バンド』『ロック』というキーワードの中で、ただただ吠えて、もがいていて、落ち込んでただけでした。ボーカル専門でしたし、別に音楽の勉強もしませんでした。
整体師になろうと決めた時に、きっぱりと昔とは縁を切りました。それが五十を過ぎて、なぜだかまた演ってしまったのです。
最初はYouTubeで『歌ってみた』とかUPしてみたいな位な感じで、ライブなんてもってのほかだったのですが、いつの間にかライブをたくさんやっていました。
ホップ 「青山ロマンチカ」
「青島」時代の貴重なストーンズ仲間、本多君に誘われて、本多時計店(中央通り)で週一ストーンズセッションが始まりました。『ビッグヘッズ』時代のバンド仲間、小野君との再会がありました。ライブをすると大好評でした。
ステップ 「二郎物語」
高校時代のバンド仲間、二郎と、ギターをフューチャーした、ハードなバンドでライブしました。
ジャンプ 「じゃいごたれ楽団」
青山ロマンチカで再会した小野君とアコースティックユニットを組むと、ライブが大好評で、随分と楽しい思いをしました。ジャンプしました!
というわけで、私の五十路は、アマチュア芸能活動を再開できた、充実した十年でした。そしてコロナと共に幕を閉じました。
一昔前になってしまった54歳の頃、ホップ・ステップ・ジャンプ以前の頃
若い頃プロを目指して、東京に二度も行ったというのは、紛れもなく私のトラウマです。それを消したくて、ギター弾き語りでまじめに練習してYouTubeにアップしようと思っていたあの頃。ヘッドウェイの2万8千円のギターを買って。
このコロナ時代還暦を迎える事になりました。ひとつの個人的な総括です。
マンマミーア!
コロナの時代が始まり今年で3年目を迎えました。老骨に鞭打ってアマチュア音楽活動を始めたのもつかの間、活動停止となり、ライブ活動なんて遥か昔の話のようになってしまいました。
歌は世につれと言いますが、どんな悲しみや怒りの歌でさえ、私は聞く時に人生を、社会を、信じて祝福する気持ちがないと、さっぱりテンションはあがりません。コロナ2年目の紅白歌合戦を見ましたが、今回は私が今まで見てきた中で、一番つまらなく感じました。生放送だから逆に、私自身が入り込めないのです。歌も演奏も、とても素晴らしいのに。
コロナ1年目まではまだ、歌に力を感じる余裕もありましたが~単なる年のせいならよろしいのですが(笑)
令和4年元旦の朝日を浴びながら、世界の不思議の憂いを腹にしまって
オールド寿ラベルをちびちび飲れば、聞こえてくるのは小林亜星の名曲
「人類はみな兄弟」
ダンダン♪ディダードュ♪シュビダディ~♪