ワレ スナワチ ナンブ ヒャクショウノ タマシイ 

1 この小さな声!

こったな!ちっちぇ!ちっちぇ!風に吹かれる声

この小さな声なき声で歌うよ

ワレ スナワチ ナンブ ヒャクショウノ タマシイ

生きるために生きている

食うために食っている

生かされぬ殺されぬ すれすれの毎日

でも立つときゃ 立ち上がるさ!

今も昔もこれからも!

2 この小さな声!

こんたな!ちっちぇ!ちっちぇ!誰にも聞こえない声!

こんたな小さなあくなき声で歌うよ

ワレ スナワチ ナンブ ヒャクショウノ タマシイ

言いたいことは 無いことにしている

波風立つなら 黙っている

おとなしくがまんしてて もの言わぬ毎日

でも立つときゃ 立ち上がるさ!

今も昔も! これからも!

ワレ スナワチ ナンブ ヒャクショウノ タマシイ

3この小さな声!

こったなちっちぇ!ちっちぇ!ちっちぇ!誰も知らない声!

こんな小さな声なき声で歌うよ!

ワレ スナワチ ナンブ ヒャクショウノ タマシイ

今は黙して ただ村に生きる

南部百姓命助のように

先人たちの無念と消されちまった悲しみで

さあ 立つときゃ 立ち上がるさ!

コノツラミ ハラサデ オクベキカ!

達者でナ

ロックがかっこいいとは、ブルースを白人がやったから、そこから始まったんだと思います。またクラシックを取り入れるとか、フォーク(民謡)ルーツミュージックを取り入れるとか、エスニックなものを取り入れるとか、音楽的には、温故知新的な展開で、カッコいかったわけです。

沖縄の場合は民謡が純粋な形でずっと残っていました。だから世界のミュージシャンも注目したし、沖縄民謡のテイストが、ロック的でカッコよかった。

日本の場合は民謡は明治維新以降、古くさいモノとしてしてスミにおかれ、戦後は、お国自慢のふるさと芸能として、民衆の音楽とはちょっと別物として保存されていきました。(現在はマニア以外、気軽に日本の民謡を歌える人はほとんどいません)私のおやじ世代でしたら、お酒をのむと民謡を歌う人は、まだまだいましたけど・・・

私はアジアのロックの、ひとつのカッコいいスタイルとして、沖縄のバンドのようなスタイルを思います。プロミュージシャンは、東京に集中するのは仕方ないのですが、日本中各地にもっと土着的なミュージシャンがいて、地産地消しているシーンこそ、世界に通ずる道だと思います。

三橋美智也は正統派の民謡出身の、歌謡界のスターでした。

北海道から出てきた三助あがり、カントリーでブルースでソウルシンガーでした。

太陽にほえてきました!

プレスリー、ビートルズ、ボブ・マーリー,マイケル・ジャクソン、ポップミュージックを革命した人達

まずはプレスリー、あの頃はいろんなロックンローラーが出てきました。それぞれがみんなセンセーショナルだったのですが、白人なのに、黒人のようなソウルフルな歌い方で、腰を振り媚びることない全開のパフォーマンスは、それまでの価値観を破壊するものだったと思います。

60年代のビートルズも、バンドで作詞作曲もして、自由な発言といい、全く新しい価値観だったと思います。

そしてボブマーリーです。70年代はハードロック、プログレ、パンク、クロスオーバーと百花繚乱という感じでした。それまでのロックがブルースに影響を受けていたように、ロックが成熟したのちに生まれたパンク、ニューウェイブのロックは、、随分とレゲエに影響を受けていたと思います。レゲエで、世界に飛び出し、広くポップミュージックにセンセーションを起こしたのがボブマーリーです。

一生髪を洗わないという事も、シャンプー文化真っ盛りの価値観に一石を投じました。ジャージを着て普段着のジーンズ姿でステージに上り、政治的、宗教的メッセージを堂々と歌う。それがマイナーな世界じゃなくて、メジャーな世界のポップミュージックの中に入って、ブレイクしていった。すごいことでした。

マイケルに関しては、世界中の子どもたちに世界で一番影響力を与えられる存在となりました。あれだけのスーパースターは、後にも先にもないでしょう。そして世界の平和を堂々と訴えた・・・

いわゆる50年代から80年代のポップミュージックは、とてつもないパワーがあったんですね!

プレスリー、ジョンレノン、ボブマーリー、マイケルジャクソンの冥福をお祈りいたします。

私のパワースポット、滝沢市姥屋敷のとある場所で、2016年お盆、太陽に吠えました!