第21回中津川べりフォークジャンボリーにじぇんごたれ楽団出演して参りました!

10月16日おでってホールでじぇんごたれ楽団3年半ぶりのライブは大盛況のうちにおわりました!

思い起こせば2020年の頭に、一気に製作したオリジナルCD「ふたりのり」カバーアルバム「尊敬カバーズ」引っ提げて、さあライブやるぞと思っていたところで、コロナとなりました。

まさに3年半ぶりのライブとなりました!出演バンドは約半分、入れ替わり時間は換気のため15分設けての開催で、不安なところもありましたが、以前よりお客さんは多く、熱気もありました!

演奏的には相変わらず間違ったりボケかまして、小野君に迷惑かけっぱなしでした!それでもなんとか行けたのは、どんな時でも彼が横でしっかりと、ドライブしてくれていたお陰でしょう。その辺のミュージシャンなら、ステージで不貞腐れていた事でしょう笑。

中津川べりフォークジャンボリーは3回目ですが、他のイベントにはない、温かみがあります。客層も幅広いし、真面目に聞いて楽しんでくれるし、自然で大らかな気持ち良さがあります。来年も出られるかはわかりませんが、このイベントを目標にまた頑張りたいです!

私が出られるイベントで、こんなにたくさんの人がまじめに観てくれるイベントって他にないです。

10月16日(日)第21回中津川ベりフォークジャンボリーに出演決まりました!

数ある音楽イベントで最も好きなのが、中津川べりフォークジャンボリー!

じゃいごたれ楽団は、コロナでしばらく音楽活動は休止しておりましたが、3年ぶりに中津川べりが開催されると聞きまして、思い切って申し込んでしまいました。出演が決まって嬉しいやら、緊張するやらです。いい演奏できるように、練習しなきゃです。

今の時代ですので、お客様と触れ合いたい私のポリシーは置いとかねばなりません。演奏そのもので勝負という、私個人としてはかなりきつい状況ですが、なんとか楽しく演ってみたいものです。

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亜無亜危異が西川正人に与えた多大なる影響

高校時代、初めてやったバンド「青島」のライブはストーンズのコピーでした。青山町の盛岡支所のホールで「休め」の姿勢でリズムも取らず、突っ立ってただ歌ってました。それでも最高の達成感で、しばらくは録音したテープを何度も何度も聴いて、毎日大興奮して天にも昇る勢いでした。青春の1ページとして誰にでも自慢できる、最高の思い出になると思いました。

その後、味をしめ、自分たち主催でコンサートをやろうと練習してた時、ギターのケンジ君がFMでエアチェックしたという、RCとアナーキーのテープを持ってきて聴かせてくれました。風変わりなコミックバンドのようなノリでウケて、簡単そうだし、「オモシェな!やるが!」てなノリでやったんだと思います。

その後すぐ、たまたま11PM でアナーキーの演奏を見てぶったまげました!ボーカルはリズムと関係なく飛び跳ねたり、変な踊りをして目をつぶって思いっきり歌ってました。びっくりしたけど凄く面白かった。その時、何かが、重苦しい青春の、本当に自分の殻が弾けました。中途半端な自分、人の目ばかり気にしていた自分、何も決めれず、ピエロになっていつも人の後を歩いていた自分が、「あ!こうやって出鱈目に踊って全開で歌えばいいんだ!」と一人革命。アドレナリンが溢れました。

そしてライブをやるたびに、全く自然に、出鱈目に踊りまくって歌ったらウケまくって、あっという間に暴走族の親衛隊が出来るほど盛り上がって。環境の変化について行けないくらいでした。若さゆえ、随分いい気になって。盛岡で天下を取ったつもりになって、プロになるなどとほざいておりました。

まあ、普通のミュージシャンには、アナーキーは馬鹿にされていましたから、高校卒業してからは、あまり話題にしませんでしたが、実は一番モロに影響を受けました。

昔の音源を聴くと、これが才能というものだ!バンドとしてとにかく最高!斬新!直球!そして半端モンにも夢だけは見れた、いい時代だったとつくづく思います。

我が五十路のホップ・ステップ・ジャンプ

今年は私も還暦と言う重要なマイルストーンを迎えます。こないだ五十になったと思っていたらあっという間でした。

若い頃プロを目指しましたが『バンド』『ロック』というキーワードの中で、ただただ吠えて、もがいていて、落ち込んでただけでした。ボーカル専門でしたし、別に音楽の勉強もしませんでした。

整体師になろうと決めた時に、きっぱりと昔とは縁を切りました。それが五十を過ぎて、なぜだかまた演ってしまったのです。

最初はYouTubeで『歌ってみた』とかUPしてみたいな位な感じで、ライブなんてもってのほかだったのですが、いつの間にかライブをたくさんやっていました。

ホップ 「青山ロマンチカ」

「青島」時代の貴重なストーンズ仲間、本多君に誘われて、本多時計店(中央通り)で週一ストーンズセッションが始まりました。『ビッグヘッズ』時代のバンド仲間、小野君との再会がありました。ライブをすると大好評でした。

ステップ 「二郎物語」

高校時代のバンド仲間、二郎と、ギターをフューチャーした、ハードなバンドでライブしました。

ジャンプ 「じゃいごたれ楽団」

青山ロマンチカで再会した小野君とアコースティックユニットを組むと、ライブが大好評で、随分と楽しい思いをしました。ジャンプしました!

というわけで、私の五十路は、アマチュア芸能活動を再開できた、充実した十年でした。そしてコロナと共に幕を閉じました。

一昔前になってしまった54歳の頃、ホップ・ステップ・ジャンプ以前の頃

 

若い頃プロを目指して、東京に二度も行ったというのは、紛れもなく私のトラウマです。それを消したくて、ギター弾き語りでまじめに練習してYouTubeにアップしようと思っていたあの頃。ヘッドウェイの2万8千円のギターを買って。

このコロナ時代還暦を迎える事になりました。ひとつの個人的な総括です。

マンマミーア!

謹賀新年

コロナの時代が始まり今年で3年目を迎えました。老骨に鞭打ってアマチュア音楽活動を始めたのもつかの間、活動停止となり、ライブ活動なんて遥か昔の話のようになってしまいました。

歌は世につれと言いますが、どんな悲しみや怒りの歌でさえ、私は聞く時に人生を、社会を、信じて祝福する気持ちがないと、さっぱりテンションはあがりません。コロナ2年目の紅白歌合戦を見ましたが、今回は私が今まで見てきた中で、一番つまらなく感じました。生放送だから逆に、私自身が入り込めないのです。歌も演奏も、とても素晴らしいのに。

コロナ1年目まではまだ、歌に力を感じる余裕もありましたが~単なる年のせいならよろしいのですが(笑)

令和4年元旦の朝日を浴びながら、世界の不思議の憂いを腹にしまって

オールド寿ラベルをちびちび飲れば、聞こえてくるのは小林亜星の名曲

「人類はみな兄弟」

ダンダン♪ディダードュ♪シュビダディ~♪

 

今、どんどん変わりゆく時代の中で、私の最後の憧憬!ギリヤーク尼崎!

ギリヤーク尼崎!生では見たことはありませんが、30代の頃、東京時代にたまたまテレビで観て、びっくり仰天、魂震えました。

当時60を過ぎた人が路上でほぼ裸になって、アスファルトにぶつかる様にして踊りまくる姿に、痛々しくて涙が止まりませんでした。

そしてインタビューに答えるしゃべりが、素朴でやさしくて、少しなまってて、ホント素敵な人だと思いました。以来何度もテレビやネットで観てきましたが、いつでも感動と切なさを私にくれました。何か奇をてらったものではなく、正に命そのものを見せてくれました。中途半端な自分が情けなかった。

新宿や渋谷の路上で下手なギターを持って、投げ銭を求めて歌い始めたっけ~中途半端でおわってしまいましたが・・・

ギリヤーク尼崎さんは、今も90歳で、路上でやっているようです。生きていること自体が、みんな痛々しく悲しく、とんでもなくパワフルである事を、思い知らせてくれます。

こんな時代、私の最後の、近くて遠すぎる憧憬です!

追伸 のぼりの旗に、近藤正臣の名前があります

切腹ピストルズ!壮絶に最高!

 

たまたまYouTubeで、各地の盆踊りの動画を見てしみじみしていたところ、なぜかこの動画に出会いました(笑)こんな集団がニューヨーク、タイムズスクエアの路上でパフォーマンスをしてたなんて知らなかったです!

和楽器集団というのはいろいろと、沢山あるとは思いますが、まず衣装がいいです。キレイな和服じゃなくて「野良着」なのがよい。ヒャクショウらしくていいです。野良着に陣笠をかぶれば、似合わない日本人はいない。最も自然でかっこいいです。

切腹ピストルズ!名前にもやられました!かっこよすぎる!私もこんな名前でバンドやりたかったです(笑)

今年は籠もって精進し、鬼滅の刃を研ぐ年としよう!

2020年暮れのよく晴れた日曜日の岩手山

コロナ渦と厳しい寒さの中、2021年は明けましたが、肝腎の音楽活動は出来る状況ではありません。2018~2019と活動して一部で盛り上がったじゃいごたれ楽団も、去年からは活動出来る状況ではなくなりました。今年も先が見えない状況ですので、活動休止と言うことになります。

コロナの終息を心よりお祈り申し上げます。

生きている間にもしまた活動出来るのであれば(気軽にライブ演やれると言う意味)、まあこのコロナ渦の間に、昔の南部民謡を、我が人生を変えてくれたロックンロールやブルースを、もう一度練習して自分なりに極めたいです。そして古新しい、下手上手いフォークミュージックを創って、いつの日か回りのみんなと交流したいです。

今は何を言っても空しくなるので、ただ今黙って食って寝て、働けることを働くだけですね~時代は変わる♪~のか?な?わかりません!全く!でも「歌」はここにある。きっとここのどこか、我が身の中にあるだろう!

西から流れる川面を見つめて

「ふ・た・り・の・り」の中で、自分としてはよく録れたと思う曲です!曲自体はヴァンモリソン風の歌として、東京時代にちょっと違う形で演っていたのを思い出して、新しく詞をつけました。シンプルに、今の思いを綴りました。

思い起こせば22~3歳の頃、友達に勧められて映画「フラッシュダンス」を見ました。主人公が肉体労働のあと倉庫で毎日一人、ダンスの練習に励むのを見て、私も一念発起毎晩家の倉庫で、歌の練習をした時期がありました。エリックバードン、ヴァンモリソン、オーティスレディングなど・・・。その後意を決して東京に行ったのですが、木造安アパート住まいだったので全く声を出せなくなってしまいました。その後20年間、大音量のバンド練習以外、ボーカルの練習などと言うものはしていませんでした。

その後盛岡に帰ってきて、ギターをもって弾き語りをやろうとしましたが、家だとなか なか集中して全開では歌えません。そこで車の中で歌ったり、山や川べりに行って歌うことにしました。 そこが前潟の雫石川べりです。

高橋竹山が裏山にゴザと三味線を持って行き、鳥の声を聴きながら練習したように、ソニーロリンズがニューヨークのウィリアムズバーグ橋の下で、人知れず練習したように、初代西川岩月が夕顔瀬橋の下で、川の音に負けじと江差追分を歌ってたように私も、雫石川べりで歌うのです!

ふ・た・り・の・り 解説 メソポタミアブギの巻

「ふ・た・り・の・り」の一曲目メソポタミアブギは、今回一番聞かせたい曲であり、歌と演奏とも一番気に入っている曲です!小野君のリコーダーで一気に決まった!という感じです。民謡調なのに何とも無国籍、そして私のような運動会の鼓笛隊世代としてリコーダーは、どんな楽器よりもノスタルジックに響きます。

思い起こせば40年前、高校生の時、青島(チンタオ)というバンドでやっていたオリジナルで、元々ははロックンロールナンバーです。当時は随分と皆に受けました!IBCラジオでもよくかけてもらいましたし、解散コンサートでは親衛隊の暴走族のみんなが大合唱してくれたのは、いい思い出です!

当時はおふざけ半分だったのですが、40年の時を超えてリメイクして改めて聞いてみると、この曲は、スケールがデカ過ぎてクラクラします(笑)

さんさ太鼓を入れて演奏するためにこのようなリズムにしたのですが、独特のグルーブが生まれてしまいました!十代の頃の、遥か遠い所への憧れとロックンロール!そして還暦を前にさんさビートへの回帰、あこすちくな、じゃいごたれ楽団としての小野牧夫氏のリコーダーが、偶然の一致として、爆発芸術しました!