介護追分

嗚呼!介護!介護!

はあ〜親から〜生まれて〜

はあ〜親を送って〜子供に〜送られる〜

生まれて泣いて〜死んで泣く〜

たった一度の〜生きる道〜

Love&Peaceの〜始まりと終わりに〜

介護の他に〜幸せ〜何あろう〜するもされるも〜

嗚呼!介護!介護!

亜無亜危異が西川正人に与えた多大なる影響

高校時代、初めてやったバンド「青島」のライブはストーンズのコピーでした。青山町の盛岡支所のホールで「休め」の姿勢でリズムも取らず、突っ立ってただ歌ってました。それでも最高の達成感で、しばらくは録音したテープを何度も何度も聴いて、毎日大興奮して天にも昇る勢いでした。青春の1ページとして誰にでも自慢できる、最高の思い出になると思いました。

その後、味をしめ、自分たち主催でコンサートをやろうと練習してた時、ギターのケンジ君がFMでエアチェックしたという、RCとアナーキーのテープを持ってきて聴かせてくれました。風変わりなコミックバンドのようなノリでウケて、簡単そうだし、「オモシェな!やるが!」てなノリでやったんだと思います。

その後すぐ、たまたま11PM でアナーキーの演奏を見てぶったまげました!ボーカルはリズムと関係なく飛び跳ねたり、変な踊りをして目をつぶって思いっきり歌ってました。びっくりしたけど凄く面白かった。その時、何かが、重苦しい青春の、本当に自分の殻が弾けました。中途半端な自分、人の目ばかり気にしていた自分、何も決めれず、ピエロになっていつも人の後を歩いていた自分が、「あ!こうやって出鱈目に踊って全開で歌えばいいんだ!」と一人革命。アドレナリンが溢れました。

そしてライブをやるたびに、全く自然に、出鱈目に踊りまくって歌ったらウケまくって、あっという間に暴走族の親衛隊が出来るほど盛り上がって。環境の変化について行けないくらいでした。若さゆえ、随分いい気になって。盛岡で天下を取ったつもりになって、プロになるなどとほざいておりました。

まあ、普通のミュージシャンには、アナーキーは馬鹿にされていましたから、高校卒業してからは、あまり話題にしませんでしたが、実は一番モロに影響を受けました。

昔の音源を聴くと、これが才能というものだ!バンドとしてとにかく最高!斬新!直球!そして半端モンにも夢だけは見れた、いい時代だったとつくづく思います。

ストリートの東京大衆歌謡楽団!

これぞストリート大衆演芸!正攻法の懐メロバンドなんだけど、やっぱり歌にはアコーディオンですね!背広にポマード丸めがねのボーカルが、渋すぎる!このような真面目さには、心打たれます!

詳しい事はわかりませんが、昔はロックをやっていたそうです(笑)メンバーは兄弟で、世界の民族音楽ををストリートでやっていたとか。そして今、かっこいい!

我が五十路のホップ・ステップ・ジャンプ

今年は私も還暦と言う重要なマイルストーンを迎えます。こないだ五十になったと思っていたらあっという間でした。

若い頃プロを目指しましたが『バンド』『ロック』というキーワードの中で、ただただ吠えて、もがいていて、落ち込んでただけでした。ボーカル専門でしたし、別に音楽の勉強もしませんでした。

整体師になろうと決めた時に、きっぱりと昔とは縁を切りました。それが五十を過ぎて、なぜだかまた演ってしまったのです。

最初はYouTubeで『歌ってみた』とかUPしてみたいな位な感じで、ライブなんてもってのほかだったのですが、いつの間にかライブをたくさんやっていました。

ホップ 「青山ロマンチカ」

「青島」時代の貴重なストーンズ仲間、本多君に誘われて、本多時計店(中央通り)で週一ストーンズセッションが始まりました。『ビッグヘッズ』時代のバンド仲間、小野君との再会がありました。ライブをすると大好評でした。

ステップ 「二郎物語」

高校時代のバンド仲間、二郎と、ギターをフューチャーした、ハードなバンドでライブしました。

ジャンプ 「じゃいごたれ楽団」

青山ロマンチカで再会した小野君とアコースティックユニットを組むと、ライブが大好評で、随分と楽しい思いをしました。ジャンプしました!

というわけで、私の五十路は、アマチュア芸能活動を再開できた、充実した十年でした。そしてコロナと共に幕を閉じました。

一昔前になってしまった54歳の頃、ホップ・ステップ・ジャンプ以前の頃

 

若い頃プロを目指して、東京に二度も行ったというのは、紛れもなく私のトラウマです。それを消したくて、ギター弾き語りでまじめに練習してYouTubeにアップしようと思っていたあの頃。ヘッドウェイの2万8千円のギターを買って。

このコロナ時代還暦を迎える事になりました。ひとつの個人的な総括です。

マンマミーア!

癒やしの山口冨士夫 atmospfere

ブックオフで見つけました。やっぱり最高です!

今聴くと、まるで環境ミュージック、癒やしミュージックです。聴いてて楽しくなるし、くつろげます。全くいい意味でのイージーリスニング。

山口冨士夫は1970年代からずっと,ロックンロールのカリスマでした。バブル前後のおめでたかった時代に聴いた時は、自堕落で危険な、不良そのものの音楽という感じで聴きました。私の中では憧れと共に、重要な緊張感そのものでした。

それが現在、全くおめでたさの無い、閉塞感の時代に聴くと、人間的であまりに人間的な、ナチュラルヴァイヴレーションそのものの、心安らぐ音楽になるのです。

時代が変わると感受性が変わるんだと改めて思いました。

選ばれし人の奏でる、ルーズできらびやかで、ピュアな音楽。仕事が終わって、夜部屋で聴いててほっこりする音楽。その辺の薄っぺらな癒やし音楽とは月とスッポンの、底辺から力が湧き出てくるような癒しの音楽。

でも危険なのは、このような音楽を山口冨士夫以外の人が演ってもだめです(笑)そこがカリスマなんです。

癒やされました。今にして思えば「村八分」も日本昔話風?の癒やしがあったような気がします。

話をしよう

グリム・スパンキーが大好きです。60年代後半のロックスピリットがビンビンにあって、それをちゃんとまじめに、独自に演奏しています。

たぶん親の好きな音楽を聴きながら育ったいい子だと思いますが、ガツンとしたパワーがあるのがすごい。(ロックって普遍的だな!)

以前FM番組で聴いたのですが、この二人は長野県の高校の先輩後輩で、生徒会長と副会長の間柄だったとか。

泣けるぜ!田園風景がよく似合う。

 

謹賀新年

コロナの時代が始まり今年で3年目を迎えました。老骨に鞭打ってアマチュア音楽活動を始めたのもつかの間、活動停止となり、ライブ活動なんて遥か昔の話のようになってしまいました。

歌は世につれと言いますが、どんな悲しみや怒りの歌でさえ、私は聞く時に人生を、社会を、信じて祝福する気持ちがないと、さっぱりテンションはあがりません。コロナ2年目の紅白歌合戦を見ましたが、今回は私が今まで見てきた中で、一番つまらなく感じました。生放送だから逆に、私自身が入り込めないのです。歌も演奏も、とても素晴らしいのに。

コロナ1年目まではまだ、歌に力を感じる余裕もありましたが~単なる年のせいならよろしいのですが(笑)

令和4年元旦の朝日を浴びながら、世界の不思議の憂いを腹にしまって

オールド寿ラベルをちびちび飲れば、聞こえてくるのは小林亜星の名曲

「人類はみな兄弟」

ダンダン♪ディダードュ♪シュビダディ~♪

 

令和どどさい節

1)どんどんさいさい どどさいさい どんどんさいさいさい!

ある朝目がさめたら ソーシャル・ディスタンス

人が人に近づけぬ 奇妙な世界!

2)どんどんさいさい どどさいさい どんどんさいさいさい!

仕事がねぐなる 遊びもねぐなる

祭りもねぐなる クソして寝る!

3)どんどんさいさい どどさいさい どんどんさいさいさい!

光が見えまする 鉄格子の窓から

生まれてすみません 長生きごめん!

4)どんどんさいさい どどさいさい どんどんさいさいさい!

山に咲く花 十七おぼこ

里に移せば 泣いて散る!

泣いて散る!

泣いて散る!

 

 

ほでね節

1)あ~ほでねな!何がホントかウソか?さあ?

空も大地も暴れてる 風に吹かれて動けないよ

信じられない事ばかり まるで俺たちゃ

キョトンとしたハムスターさ

 

2)あ~ほでねな!右も左も 前も後ろも

進むも戻るも 天国ですか?地獄ですか?

信じられない事ばかり まるで俺たちゃ

迷子になったニワトリさ

 

3)あ~ほでねな!何が健康で 何が病気か?

何が戦争で 何が平和か?

めくら騙しで あ~ほんでくてね!

信じられないことばかり 見えない糸で

あやつられている からくり人形

 

今、どんどん変わりゆく時代の中で、私の最後の憧憬!ギリヤーク尼崎!

ギリヤーク尼崎!生では見たことはありませんが、30代の頃、東京時代にたまたまテレビで観て、びっくり仰天、魂震えました。

当時60を過ぎた人が路上でほぼ裸になって、アスファルトにぶつかる様にして踊りまくる姿に、痛々しくて涙が止まりませんでした。

そしてインタビューに答えるしゃべりが、素朴でやさしくて、少しなまってて、ホント素敵な人だと思いました。以来何度もテレビやネットで観てきましたが、いつでも感動と切なさを私にくれました。何か奇をてらったものではなく、正に命そのものを見せてくれました。中途半端な自分が情けなかった。

新宿や渋谷の路上で下手なギターを持って、投げ銭を求めて歌い始めたっけ~中途半端でおわってしまいましたが・・・

ギリヤーク尼崎さんは、今も90歳で、路上でやっているようです。生きていること自体が、みんな痛々しく悲しく、とんでもなくパワフルである事を、思い知らせてくれます。

こんな時代、私の最後の、近くて遠すぎる憧憬です!

追伸 のぼりの旗に、近藤正臣の名前があります